乱世編
NTRやんけ~!!
どストレートなNTRでびっくりした
花畑でいちゃいちゃする牛太とおぶうの絵、かわいくて美しくて良い
ヤマト編の草原にころがるヤマトとかじかもよかった
絵的な美しさと牧歌的な感じが好き
弁太のブチギレ顔ほんとうに迫力があってまじまじと見てしまった
丸太で顔面ぶち抜くのもエグくてたまらない、すごい
ヒノエかわいい…弁太との体格差萌えます
窃盗癖を開き直ることもできずに難儀していて、これのせいで人生がめちゃくちゃになっており、ままならない哀れさを感じる 気の毒でかわいい…
あ!バズってた電話!
電話に驚いたり感心するよりも「Twitterでバズってたやつ!」て感想が飛び出す
それを抜きにして見てみると、あまりにも自然にさらっと出てくるのでおもしろい
騙されはしないけど、ないはずの変なリアリティがある
あ!我王…?我王だ!嬉しい!元気だった!?すっかり仙人様みたいになっちゃって……両手がなくてもまったく悲壮感なくて、傷ついた動物を拾ってあげられるくらい余裕があって、嬉しいよ……
赤兵衛と白兵衛かわいい
手塚先生の筆が乗りに乗りまくってるのがわかる
清盛と義経に因縁萌えはしないが、赤兵衛と白兵衛には萌える
なんか表面的にさらっと読んで終わらせてしまった
主要キャラが多すぎる、スケールが大きすぎるに加えて、教科書などで見てきた歴史上の人物が出てくると、(うわ!”歴史”だ!)と思ってしまって読むのが疲れる
いやそれはちょっと正確じゃない 主要キャラに歴史上の人物がいると、覚えていたら歴史ではこうなると考えながら読み、覚えてなかったら調べ直してから読み進めた方がいいかなあと思いながらもネタバレを知りたくない+めんどうでぼんやりと読み、さらに作家個人の解釈や史実アレンジを認識しながら読まないといけないから気がそぞろになるんだ
たとえば今回なら、おぶうさんって実在した清盛の嫁さんを手塚がキャラ付けしてるの?まったくのオリキャラなの?え義経って孤児同然の生活だったの?史実なの手塚のキャラ付けなの?あ~なるほど、牛太は弁慶になる…ならんのかい!とか
牛太≠弁慶は面白いスカシだったけど、他のは楽しいよりも先に「一旦読む手を止めて調べた方がいいのかなあ…」が頭によぎり続けてしまう
羽衣編
ショートショートだ
カメラを舞台の正面に固定して描いてる 劇スの真矢クロレヴュー冒頭みたいな
今でこそ、まああるだろうなという表現だけどこれも手塚先生発祥なんでしょうか
「みなごろし戦争」は戦争じゃなくてただの殺戮では…それだけ戦力差が圧倒的で、一方的に蹂躙されるだけで、おときの国には戦って争うだけの体力がないんだろうな…
やっぱり火の鳥って慈悲もある 戦争がいやになった孤児の女の子を平和な過去に送ってくれて、帰りたくなるまでいていいよって言ってくれるんだから
元の時代に帰る時も、おときはたぶん火の鳥の力をもう一度借りたんだと思うし
ズクは最初こそおときの弱みにつけ込んでるんだけど、そこまで気にならなかった
おときの衣を隠して、三年間一緒に暮らして欲しいっていうのはまあ強引なんだけど…おときが了承したら禁を犯して魚を取ってきてくれるし、小心者なのかひっくり返ってるし 憎めないんだよな 生活がきつくてひとりきりで誰かにすがりたいんだろうなというのもわかったし
絵柄や話の運びがギトギトしてなくてあっさりしてるのが効いてるんだと思う これがもっとねちねちしてたらなんやこいつ…って嫌悪感が発生してただろうし
んで、いい夫婦になってるし
おときがズクが隠した羽衣の場所を実は知っていたのも、もう普通にズクが好きで一緒に暮らしてるんじゃん
羽衣を渡しちゃったら布の歴史が変わっちゃうから言うこと聞いて一緒に生活することになったのに、ズクを徴兵に来た役人に羽衣を渡して見逃してもらうのもさあ
せっかくおときが羽衣を献上して見逃してもらったのに、あれがないとおときが帰られなくなる!って取り返しに行っちゃうのもよい
おときはもう帰るつもりがない?のに、お互い好き合ってるのにすれ違ってしまうのが
ズクとおときの間に子がいるとタイムパラドックスが発生するというのはようわからん
ズクとおときの間の子どもがおときの祖先と出会って、さらに子どもを産まない限りはタイムパラドックスは起きないんじゃないか?と思ってしまった
でもどこで誰に繋がるかわからないし、ズクとおときの娘が将来男と子を儲けたとして、本来ならその男は別の女との間に子を儲けるはずだった…とかなら、じわじわめちゃくちゃになっていくのか
雑誌掲載時は戦争中におときが「毒の光(放射能)」を浴びたせいで子どもが奇形で生まれて、それを殺そうとするけどやっぱりできなくて元の時代に連れ帰る話だったらしい。そっちの方が子どもを殺そうとするおときの心情が直感的にわかる話になってるな
雑誌の「生まれてきた子どもが奇形」verだと、おときはズクと子どもをつくったこと自体はもしかしたら気に病んでなくて、子どもが生まれて奇形とわかった瞬間に絶望に叩き落とされたのかもしれない
一方、コミックスの「過去人との子どもはタイムパラドックスが起きるから殺さないといけない」verだと、妊娠がわかった瞬間…いや、その前段階の避妊しないでズクとしちゃった瞬間から絶望が始まってたのかも この時代に避妊があるかはわからんけど…
う~んそれを思うとコミックスの方が愛と欲に抗えないおときが絶望的で美しいかもしれない 生まれた瞬間に殺さないといけないとわかっている命を宿す女、なんかもうすごい手塚治虫って…
もう力尽きそうになってるのに、松の下に羽衣を埋めようとするズクも、最期までおときのことを考えてて好き
魚を獲ってはいけないという禁止事項を破っただけでひっくり返ってた男が、妻を元の時代に返すために一年かけて死に物狂いで取り返して、結果死ぬ
悲劇なんだけど、あっさりした描写と相まって独特の良さがある
最後のページの首が外された大人の人形と子どもの人形は一体なに 作中では人が演じてる「演劇」として描いてあるけど、本当は「人形劇」だったということなのか? でもそれならわざわざこんな意味深に描くか? 仮に「演劇風に書いてたけど実は人形劇でした」って種明かしされても、そこまでドッキリ感はないというか、へえ~そうなんだ、としか思わない 首を外す必要もない
なんかゾワッとするオチだ 元の時代に帰ったおときと子どもの未来…の暗示なのか…?