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ふたかお小説

君よ知るや華やぎ香る子

舞台少女格差と双葉は言うけれど。
衣装合わせのための採寸部屋でまひるを見上げ、その豊かなお胸をつついて物欲しそうにする双葉だったけれど、実は身長はともかく彼女のようなスレンダー体型の方が舞台俳優には適っていて、まひるのようなグラマラスな体型の場合、役柄によってはお胸をつぶして苦しい思いをしないと舞台の上で悪目立ちしてしまうから、素のままで男役も少年役もこなせるぶん双葉は有利なのだ。もし双葉が双葉のままでは「足りない」役を演じる際は詰めればいいのだし……つぶすのと違って窮屈な目に遭わなくて済むから、演技だけに集中できる。
当然ながらいっぱしの舞台少女である双葉も自身のスリムな身体つきの利点は十分承知しており、だからこそまひるやななに励まされ、自身でないとできない役を務め、個性をきらめかせようと前向きに締めて、ワンテンポ遅れて励ましてくれたひかりをからかうだけの余裕もちゃんとあった。

なぜ年頃の少女である双葉が成長に乏しい身体に真に差し迫った悲壮感を持っていないのかというと、高校に入ってからできた級友同級生のバストサイズには今さら驚けないほどにはもう見慣れていてしまっているからだ、豊かと評してもいいだけの身体を、もう何年もずっとそばで。
薄く小さい双葉の背に全力で乗っかり、時には膝に頭を預け、遠慮のかけらもなくむぎゅむぎゅと双葉の顔や後頭部や背中を乳圧で圧迫するその肉厚の正体はご存じ花柳香子。栄養がお胸と日舞に全部いっているとしか思えないあの女!
四六時中一緒にいるこの香子という女は由緒正しいお家の生まれで、陽だまりの中の猫ばりのものぐさではあるがひとたび動けば所作のひとつひとつが洗礼されていて美しく、彼女の本領が発揮される日本舞踊の舞台はもちろん、嫌いなネギを双葉の皿に移してはちゃっかりと逃れる日常での箸さばきに至るまでゆうるりとしていて、見慣れていても毎度見惚れるほど雅なのだった。
だから、動きが鈍りがちな寝起きでも、手が震えがちな真冬でもないのに、愚鈍にもたもたする香子というのは双葉にとって、そう、とんでもない解釈違い……。
広いお屋敷の一角、香子の部屋のふすまを開き、衝立に隠された向こうに足を踏み入れた双葉はぴたりと動きと、ついでに呼吸を止めた。いや、これでは正確ではない、予期せぬあまりのことに勝手に止まってしまった。
大切な跡目継ぎに与えられた、このお屋敷で一等日当たりの良い部屋。カーテンの隙間から差し込む白く輝く朝日が香子の素肌を縦断している。なまっちろい背中を晒して畳に座り込み、後ろ手で下着の金具をつけようとしていて、うまくいかずに仕損じ、くなくなと肩、それから腰を揺らめかせ、人知れずこんなところで苦労していた……この時双葉が受けた衝撃と言ったら筆舌に尽くしがたい。
双葉がシャツの下にスポーツブラで元気に外を走り回ってる間、どうやら香子は背中に手を回してホックをつけようとしていて、幼馴染を置いて一足先に大人の階段を登っている最中で、もたもたとした手付きは優美さからかけ離れ、彼女に似つかわしくない仕草だと頭では思っているのに、どうしてだろう、お風呂や更衣室などで互いの裸なんて見慣れているはずなのに彼女から目が離せず、この場に縫い付けられたように動けなくなってしまった。
それらを凌駕して何より双葉を驚かせたのが、香子がこうしているこの光景そのもの。究極の面倒くさがりにして甘えんぼう、毎日双葉に起こされ、自転車の荷台に乗せられて登下校し、髪を乾かさせ、櫛で整えさせ、靴紐まで結ばせるこいつが…!?
とはいえ、さすがの香子も下着を双葉に着けさせるほどの怠惰ではなく、靴下を履かせてやったことはあってもキャミソールやショーツを履かせてやったことは一度もないのだから、それを踏まえればブラも同じだと自ずとわかることなのだけど、双葉は当然気付いていた道理をあえて無視した。その方が自分がこれから言うこと、することに都合がいいから。
しかし双葉がそれを遂行するよりも先に、振り仰いだ香子が恨みがましげな瞳で双葉を見上げる方が早かった。眉根を寄せ、大きな瞳をすがめ、桜色の唇をとがらせて不機嫌もあらわに、無自覚にますます双葉を追い詰める。

「………いつまで開けとるん」
「!」

無様な姿を見られている自覚のある香子の口調は明確に咎める色を帯びているが、双葉にとってこれは渡りに船であった。すかさず襖を閉める、内側から。ちゃっかり自分は部屋の中に残ったまま。だって出ていけとは言われなかったもの!
このお屋敷に訪れた自分の役目を大いに活用して、疑われないよう用心深く部屋の時計に目線を投げ、努めて登校時間を気にしている風を装い(思えばこれが舞台少女・石動双葉の発芽への種だったのかもしれない…)、手のかかる幼馴染にいつもしてあげているように申し出る。

「つけてやろうか」
「あら、おおきに!」

声が震えなかった自信がない。今双葉を埋め尽くすのは、常からこき使われているお側仕えのような立場と、気のおけない同性の幼馴染であることを利用し、もたつく彼女に付け入って親切ごかして触れてしまいたい、不器用な手付きからして恐らく買ったばかりのそれを身に着けるのは今が初めてで、彼女自身も果たしていないそれをこの手で奪ってしまいたいという後ろめたい気持ちばかり。割合はどうあれ、そこに「香子が困っているから助けてあげたい」がほんのひとさじでも含まれていればまだ自分にだけは言い訳できたかもしれないが…残念ながらないものはない。そのせいで、どうかこの下心が彼女に見透かされませんように息をひそめる羽目になった。
けれども香子は双葉を疑いもせず、むしろこの幼馴染が進んで自分の身の回りの世話をするのは当然であり、それは今この時だって例外ではないと態度でありありと示していて、あっさりホックから手を離し、無防備になった裸の背中を晒した。双葉が懸命に平静を装った甲斐でもあるが、香子が彼女に向ける信頼と甘えが不自然さをキャッチさせないほどに、はるかに上回っているのだ。
まさか双葉が自分に無体をするわけがないと舐め腐り、甘えきっているわけだから、心情はどうあれ実情では裏切ってはいけない。というより、長年築いた関係が自分の一挙手一投足で台無しになってしまうことを思えば(つまり結局は保身)、双葉は香子を裏切れない。
床に膝を付き、身を寄せ、華やかな小ぶりのレースがあしらわれた淡い桃色のそれを指先でつかむ。
笑えることに緊張と興奮で手はかすかに震えていて、針金を輪に引っ掛ける、数秒で終わるたったそれだけの仕事が神経と理性のことごとくを削るとんでもない重労働だった。ぎこちない指先に宿ったのは成長著しい身体への羨望と、それから間違いなく嫉妬。双葉の知らない香子になったこと、彼女がそれを黙っていたことへの。
仕上げに、肩紐に指先を差し込み、肌と紐に挟まれている一房の藍色の髪を掬い出してやると、肌を髪が撫で去ったのがこそばゆかったらしい香子がくすくすと声を立てて笑った。
鈴を転がしたような無邪気な笑い声はやましいところのある双葉にとって耳に直接流し込まれる甘美な猛毒にも等しく、もはや双葉の頭の中にしかいない幼い頃の香子から非難されているようでもあった。かすかに震える膝でなんとか立ち上がり、この非日常空間を日常に戻すべく、衝立に掛かっていたセーラーを彼女に被せるようにして雑に放る。

「なあ、早くしないと…」

遅刻する…と続けるつもりの言葉は紡がれなかった。
垂れていた茎が持ち上がり花開くように、優雅に双葉の目の前で立ち上がった香子(屈んだせいで肩紐がたわみ、あらわになりかける白磁器の先、)が、一向に袖を通さないセーラー服を胸に抱きしめ、数センチ上の目線からひたりと見据えて、眼差しひとつで双葉の常識的な言葉を喉奥に押し込め、彼女の時を止めてしまったからだ。
一筋の朝日だけが光源として差し込む薄暗い部屋の中に佇む彼女を縁取る、華やかな少女性の中に隠された未発達の、はっとする未熟な色香。腕に抱いた白い清楚な制服の奥に見える、膨らみ始めた未完成の美。その身体の上に乗る幼い顔立ちから成る危ういアンバランスさ。
魅力あふれる香子のチャームポイントといえば目の上で切り揃えられた前髪、肩でカールした艶やかなセミロング、桜色に色づくほほ、長いまつげが縁取る垂れ目がちの琥珀の瞳、やんごとないご身分のお嬢様に相応しい公の場でのおしとやかな振る舞いと、それを裏切る私生活でのわがままな性格…いくらでも連ねることができるが、そういった素敵だけれど当たり障りのないところではなく、普段は衣服に隠されている秘所ばかりに這う双葉の視線はいくら腐れ縁の同性と言えどあまりに不躾で、それなのに香子は睨みつけたり不満げな声を上げたりして双葉を正気に戻してはくれなかった。

「『早くしないと』…?」

香子が目を覚まさせてくれず、双葉も溺れかけてしまっている今、勝機は外部からもたらされる横槍に頼る他ないのだが、登校時間が差し迫っているにも関わらず一向に玄関に現れない当家のお嬢さんとその友人を怪しんだ使用人が訪ねて来ないばかりか、第三者が廊下を通りかかる気配すら訪れない。
花柳のお家はお手伝いさんやお弟子さんなど出入りする人数も多いけれど、それ以上に入れ物であるお屋敷が大きく、またそのほとんどはお稽古場やお師匠様の部屋に用があるので、双葉のように香子個人の私室に向かう場合、人とすれ違うことは実はあまりない。しかし、それにしたって今日は誰も、なんなら人影すら見かけなかった。
疑うまでもなく、家人らのスケジュールを把握できる香子が邪魔の入らない日をつくり、小賢しくはかりごとを巡らせたからだ。この調子だともしかしたら双葉の分まで合わせて学校にも欠席の連絡を入れているかもしれない。お家柄、お稽古に舞台にと香子はもちろん双葉も公欠する機会は多い……ようやく双葉は気付く。朝だというのに閉め切ったカーテンも、もどかしい手付きで奮闘する後ろ姿も、家人が出払ったこのお屋敷も、何もかもが双葉をおびき寄せる撒き餌、すべてずる賢い彼女が敷き詰めた罠だったということに!

「どうなるん、うちに教えて」

はめられた…!
熱視線に一方的になぶられているはずの無防備な姿の香子はいたずらっ子の表情と、反してぞっとするほどの色香を秘めた声色で双葉を追い詰め、先をそそのかした。
真面目に学問に励む学生らしく「早く制服を着てくれないと遅刻してしまう」、こう続くはずだったのに、「その肌を隠してくれないと、」「どうにかなってしまう、」、すり替えられてしまった双葉の頭を占めるのは、舞台に日向に隣にと可愛らしく咲く花を摘み取る、花盗人に身を堕としてしまいたい、抗えない欲求。

この手で生粋の箱入りの幼馴染をかきむしり、澄み切った清流のような涼しい顔の彼女を濁らせ、女にしてやりたい…!

幼い頃から連綿と続く今の関係に満足していて、下手を打って拒絶されることを考えれば一歩も踏み出せないのが双葉で、拒絶することもされることも考えてすらいない、機会をずっと伺っていたのが香子で、そして双葉は香子のお願いを見境なくなんでも叶えてしまう傾向がある。
となれば自ずと結末は導かれ…いや、これは言い訳だ、香子の煽動はてきめんではあったけれど、結局双葉は双葉自身の衝動に突き動かされた。姫君を守る騎士さま気取りの少女を堕落させる悪魔の誘惑に乗って、知りたがりの彼女にその身をもって教えてあげた。

「こうなる…から……」

胸の下で組まれた腕の、二の腕に震える指を触れさせる。香子はまったく抵抗せず組んだ腕をほどき、純情の象徴である白いセーラーはあっけなく床に落ちた。
神秘のベールが剥がされ、陶器のように白い肌が双葉の眼前に明るみになっても香子は恥じらわず、さながら舞台に立つ踊り手であるかのように堂々と立つ。

「ふうん、そう、こないなるの」

…これだけやないやろ?と、双葉の手を取って、導いた。

「双葉がうちにしたいこと、ぜんぶしてみて」

咲き誇る花の方からその手で詰んで欲しいとせがまれ、視線ひとつで双葉の体中には蔦が這い、美しい花弁に誘われて蜜で溺れる働き蜂のごとくがんじがらめにされて逃れられない。彼女を覆う可憐なレースのそれも、それを外してあらわになったそこも、こういう風にして香子のお胸は双葉のものにもなってしまったから、双葉のささやかな胸は香子が「かあいらしい」としきりに褒め、たくさん撫でてくれたのも手伝って、コンプレックスになり損なってしまった。