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かれひか小説

喘いで泳いで与え合いましょう

華恋にとってひかりとは、追い続けた見えない背中、返事のこない手紙の宛先、眠れぬ夜の悩み、胸を高鳴らせる憧れ、情熱の火種、掴もうとした星、運命の人、塔の頂上で目を焼く光。
夜にこそ頭上にきらきらしく輝くはずの星は落ち、今や華恋の手の中だ。正確には華恋の身の下、華恋の手によってベッドに横たえられたひかりは、彼女にとってふたりきりで演じるこの舞台の共演者であると同時に、誰より丁重にもてなしたいたったひとりの観客である……。

おドジな華恋はもうおしまい。そういった普通の女の子らしい経験をする暇なんて一度もなかったくせに、ひかりを導く華恋はまるで手慣れているかのようになめらかで、真摯で誠実な態度を装い、やわらかく微笑む。つまりこんな時であっても演じることをやめない女優であった。

「大丈夫だよ。今から私たちがすることで、ひかりは何も失わない、ひかりのきらめきはひとつも曇らない、陰らない、損なわれない。だから…」

安心して、と続くはずの言葉はぶった切られた。
華恋も長年姿の見えない幼馴染に食らいつき続ける負けず嫌いを日頃のふにゃふにゃした態度に隠しているが、ひかりも天然ぎみの言動の中に華恋の向こうを張る負けず嫌いを隠し持っている。緊張してかちこちになっていた彼女を安心させるために余裕たっぷりに振る舞いたかったのだったとしても、華恋は決して隙を見せてはいけなかったのだ。
形の良いひかりのくちびるから鋭い一閃は放たれ、華恋に突き刺さる。舞台少女愛城華恋を死に至らしめたあの一戦のように!

「それはこの舞台のセリフ?それとも、あなたの心?」

惚れ惚れするような太刀筋!
大人ぶった華恋にエスコートされてくれて、華恋のそのかっこつけしいを汲み取って、言葉少なにとっても可愛くしてくれていたのに、裏手では闇に潜みて短剣を研いでいたのだろうか。
たちまち華恋は固まる。互いに素肌を見せ合う極めてプライベートな「今この時」までレヴューにするのかと、ひかりの輝きが損なわれないという言葉は本心からなのか、あなたの脚本の筋書きなのかと、咎められているように聞こえて怯んでしまい、引くことも押すこともできず、動けない。
本当は何もひとつも慣れてなんかいないのに、ひかりを手づからベッドに置いた華恋がここまで身の丈に合わない態度を取ってしまうのには理由がある。
だって、ひかりの疑問通り、華恋は今この時こそレヴューだと思っていたのだ。大人の階段をふたりで登ろうというのなら、華恋は男役を選び、娘役のひかりの手を取って無事に頂上まで歩ませてみせる。負ける時すらライトを浴びて上掛けをひるがえし、死ぬ時すら華々しく東京タワーから落ちるのが彼女たちだ。ならば密やかな睦み合いですら、それに挑むのが舞台少女ふたりなら、おのずとレヴューに仕立て上げるものなのでは……と華恋は考えていて、普通の少女たちのようにするには、華恋はあまりに舞台以外の生き方を知らなさすぎた。
すっかり身を固くしてしまった華恋をまぶしく照らしたのはやはりひかりだった。頭上に冴え冴えと輝くポーラスターの道しるべ、苛烈に肌を焼く灼熱のスポットライト、この身に降り注ぐ陽の光、華恋にとってひかりこそがこの世に満ち満ちた光の正体。
彼女の白魚のような指先がシーツの幕を縫うように伸びて、華恋の鞄にとめた赤い王冠を丁寧に捕らえる。
起き上がったひかりが、白いシーツの上にさながらショートケーキのいちごのようにちょこんと座った可愛いひかりが、華恋の乱れた前髪をそっと直してくれた。片手で前髪を抑え、髪飾りのクリップを開いて、差し込む。

(ひかりがつけてくれる、王冠の……)

下着姿のひかりが身を伸ばして華恋に近づいたせいで、キャミソールの奥の影や、青白い頬に落ちる長いまつげの影に見とれ、彼女の動きをただ事実として頭の隅で受け止め、ぽやんと夢見る瞳でいた華恋だったが、…ぱちん。音を聞いた瞬間、ひかりの意図にやっと気づいたけれど遅すぎる。交換した運命のチケットが、再びはまったのだ!

(あ…!)

華恋が声を上げる間もなく、まるで魔法にかけられたかのように、クリップが閉じられた途端、ひかりが愛した素直で可愛くておまぬけで天真爛漫な華恋にみるみるうちに戻っていく。膝から力が抜けて、へなへなと真正面のひかりに寄りかかると、ひかりもまったく抵抗せずに華恋を抱きとめ、ふたりしてベッドに沈む。

「だって、」
「うん」
「だってだって、ひかりちゃんにかっこわるいとこ見せられないもん……」
「馬鹿ね、華恋ったら。そんなこと考えてたの」

ひかりの胸に顔を擦り付けてべそをかく華恋に、くすぐったさに身を震わせて、くすくす笑う。
演じることをやめてしまったら、舞台少女をやめてしまったら、ひかりの前では華恋は「舞台少女愛城華恋」ではいられない。ただの少女の華恋ではひかりを惹けず、興味を喪失してしまう。舞台少女神楽ひかりの瞳に映り続けたいのなら、彼女をも凌ぐ情熱で愛城華恋もまた舞台少女で居続けなくてはいけないのだ。
そのせいでこんな時でもひかりに負けたくないと、ひかりの相手役足ろうとしてしまったのだが、それが絶妙に彼女の自尊心や負けず嫌いをくすぐってしまったようで、互いに運命から卒業した証として外していた髪飾りを再びつけられるという、禁じ手とも言える方法で華恋は封じられてしまった。
ひかりから言い渡された運命によって舞台に縫い付けられていたあの頃に戻ってしまった華恋は、そのおかげでようやく夢見がちな子どもっぽい理想論だったとしても、ひかりを安心させたいという底にある想いは変わらず、心からの言葉を告げることができた。

「でも、本当だよ、ひかりちゃんは何も失ったりしないよ、きらめきはずっとひかりちゃんのものだよ」
「……」

抱き入れた胸の中からまっすぐ見上げてくる華恋の視線から逃れるように、ひかりはそっぽを向いた。
芝居がかった先程のセリフも、今の素直な言葉も、間違いなく華恋の本心だと知ったひかりの伏し目がちになったまぶたを縁取る漆黒のまつげは震えていて、頬は色づく。反面、シーツに体温を奪われたかのように華恋を抱きしめる手は緊張しきっていて、ひやりと冷たい。
とても大切なことを、勇気をもって言おうとしているひかりから放たれる気配が肌をちくちくと刺し、華恋は息を潜めて待つ。何もひとつも失わないと言ってくれた華恋に真正面から応えたいと思うのに、ついぞひかりは華恋の瞳を見返せず、よそを向いたままで、くっと決意に持ち上がったあごのラインが動く。
この一連の流れが、彼女のわななく唇からこぼれた言葉が、ことごとく華恋の胸を刺す連撃で、彼女こそ何処をも舞台に変えてしまう舞台少女だった!

「あなたが奪って、私に失わせて」
「私のきらめきを欠けさせて」

塔の頂上でもなく、ライトもない、明かりを落とした薄暗い部屋なのに、華恋に作用するひかりのきらめきは時や場所、舞台装置に縛られず、自在でありながら光量は常に最大だ。
脚本なのか本心なのかは咎められたが、ひかりは行為はレビューではないとはここまで一度も言っていない。つまり、そういうことだ。やはり今から行うことはレビューなのだ。人生の。
なんなら、舞台に生かされている舞台少女であるというのに、今のひかりはそれを利用して本音を言っているに過ぎず、舞台と彼女の主従は逆転している。
曇らないと言われても、華恋の手で摘み取って欲しい、失ってしまいたい、このきらめきを砕くのはあなたがいいと、情熱的に、一生懸命に表現するひかりに、華恋はもう、胸と言わず頭からつま先に至る全身がいっぱいになってしまって、彼女に目を焼かれたまま、泥酔したふらふらの手付きでひかりのキャリーケースについた髪飾りをむしる。
さながら初めて少女に触れるうぶな少年のように小刻みに震える手でひかりの髪をすくい、「えい!」とピンでとめてしまう。

「あっ!」
「なにするの。ばか、ばかばか、ばっかれん!」

せっかくひかりが夜にふさわしい緊張で部屋を満たしてくれていたのに、華恋が台無しにしてしまった。とはいえ、それってついさっきひかりが華恋にしたことだからおあいこなのだけど、華恋と同じくすっかり昔に戻ってしまったひかりには通じない。でもいいのだ、それが一番よかった。華恋はこのひかりが見たくて、この愛たっぷりの罵倒が欲しかったからそうしたのだもの。
きっと睨みつけてくるけれど、涙が滲んでどうにも眼差しが弱くなってしまっているひかりとやっと目が合った華恋はいよいよ再生産。ひかりの目の前で昔の姿を取り戻していく。つまりお能天気で無邪気で朗らかで、ミステリアスでクールなひかりの背中を賢明に追う未熟者……と見せかけてその実はひかりを恐れさせ、ただのいちファンに堕ちるぎりぎりまで追い詰め、また強烈に惹きつけてやまないあの華恋!
演じた期間が長すぎて、華恋もひかりももうすっかりこちらの人格が身体に馴染んでしまった。華恋はこれをネガティブには捉えておらず、元気いっぱいのひかりと引っ込み思案の華恋が運命のチケットの交換によって、人格が入れ替わったかのようにクールビューティーと天真爛漫に成長したのは、むしろそれでこそ運命足り得る因果だなんて思ってしまっている。

それがひかりの望みなのだから、華恋はとびきり可愛いところも、かっこつけようとするところも、決まらなくてかっこ悪くなってしまうところも、全部をひかりに見せた上でひかりを奪い、そしてひかりは華恋の手によって輝きを欠いた。

待つ・待たせる立場が入れ替わった双葉と香子、いつか同じ舞台に立つ純那となな、明日も明後日も剣を交える真矢とクロディーヌ。彼女らと違って、幼い頃に結んだ約束を果たし、そして運命を終わらせた華恋とひかりが三度再会するならば、それは芸事の神のいたずらでも再演を望む観客のせいでもキリンのしわざでもなく、本人たちの意思のみによって果たされる。
5歳のあの頃、あのスタァライトの舞台が決め手になって彼女らはお互いの人生を運命づけてしまった。華恋が知らない世界を知っていると自慢したい!ひかりのその行いが引っ込み思案だった華恋を、女の子としての普通の喜び、楽しみ、全て犠牲にして立つ舞台を目指し続ける辛い道に導くとも知らずに。また、届かずに諦めかけたその道に、華恋の手によって引きずり込まれるとも知らずに。
だから、ひかりがその足で華恋の元を訪れ、華恋は彼女を迎い入れた、というのはもはやスタァライトもレヴューも関係のないことで、互いが互いを改めて大切なひとにしたいという擦り合せの始まりに過ぎない。

傍らに眠るひかりの寝顔を好きなだけ眺め、静かな呼吸を聞きながら、華恋はひとり楽しく反芻中。
間違いなくさっきのひかりが一番きれいで、さっきのひかりが一番わがまま。視線だけでなく華恋の五感すべてがひかりを追い求め、すべての角度で彼女に見とれた。
この一夜でまたしてもひかりに目を焼かれ、そのせいで華恋は落ちてしまった。決して癒えることのない、一生ものの致命傷であることには代わりはないのだが、落ちたのは塔からではなく、身をよじり、心を焦がすような素敵なものであり、罰ではなく華恋が望み、ひかりと一緒に飛び込んだのだ。